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変わりゆく古楽

明日21日は夏至の日。ヨーロッパなどでは音楽祭とかが行われたりしますね。そんな折り、ブルース・ヘインズ『古楽の終焉 HIP<歴史的知識にもとづく演奏>とはなにか』(大竹尚之訳、アルテスパブリシング、2022)を読了しました。

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著者は18世紀オーケストラなどのオーボエ奏者だそうで(2011年に亡くなっているそうです)、古楽について酸いも甘いもかみ分けてきた人という感じですね。基本的に、「古楽」というものの来し方行く末について、細やかに論じた良書です。

全体的に浮かび上がるのは、「古楽」のイデオロギー性でしょうか。対立しているロマン派や現代音楽などとの対比から、そのイデオロギー性がどう深まって現在にいたっているかの見取り図が示されています。また、それが20世紀、それもとくに後半の一時代のものにすぎない、といった相対的な見方もきっちり示されています。やがては、古楽の「運動」も古くさい一潮流として振り返られることになるのだろう、というわけですね。

著者は古楽が主に扱うバロック音楽について、それが修辞学的なものであると認識していて、そうした工夫のないピリオド楽器の奏者などには批判的です。修辞学的な技法は、そもそも楽譜には示されていないことも多いとされ、楽譜絶対主義のようなものは一蹴されています。このあたり、いろいろ面白いエピソードが満載です。

個人的に面白いなと思ったのは、たとえばスラーの扱い・解釈です。バロック期の楽譜にスラーの記号が書かれているのは、本来スラーなど用いない箇所に、あえてスラーを持ち込む必要があったからだという解釈も成り立つという話です。修辞的な伝承・伝統として、書かれたものによらないで伝えられていた技法を、楽譜にわざわざ書いたりはしなかったかもしれない、と。さらに、そもそものスラーの意味すら、現代的な楽譜とは異なっている可能性がある、と。

こうなるともはや、今月の『現代思想』が特集を組んでいる無知学じゃありませんけれど、過去の修辞的伝承はどうすれば復元できるのか、そもそも復元などできるのか、といった不知・無学の問題にぶち当たってしまいそうです。過去のことを本当に理解などできるのか、どこでどう過去の事象、歴史的事象と折り合いをつけられるのか……云々。なんとも悩ましい問題ですが、私たちはそのあたりを、堂々巡りと知りつつ、何度も行き来し吟味し続けるしかないのでしょう。ソクラテスの徳目をめぐる検討のように。

同書は70曲以上のサンプル音源が参考としてあげられていることも魅力の一つです。これはなかなか聴き応えがありますので、ぜひ。