先ごろ亡くなったポール・オースターが原作・脚本で参加した映画『Smoke (1995)』を、思うところあって配信で再見しました。ハーヴェイ・カイテルとウィリアム・ハートが共演する、ウェイン・ワン監督作品ですね。
昔観たときには、「群像劇っぽいところは良いけど、人間関係の薄さ・冷淡さみたいなものがなんだか前面に出すぎている感じもする」、なとど思ったように記憶しています。人情ものでありながら、どこか覚めている感じ、とでも言いますか……。そういうところに、少し違和感を覚えたのかもしれません。
でも、例のごとく細部はすっかり忘れていました。今回見直してみて、むしろこの距離感こそが絶妙だなと思えました。また、当時は私自身もスモーカーだったせいか(だいぶ前にやめていますが)、別に感じなかったのですが、作中でこんなに絶え間なくタバコをふかしていたんだったっけ、と思ってしまいました。そう思って観ると、登場人物たちが吐き出す「スモーク」こそが、彼らの、ずったりべったりにはならない絶妙な、都市空間的な距離感を際立たせているようにも思えてきます。
4000日にもわたって同じ場所の写真を撮っているという主人公の、控えめな芸術観も素晴らしいですね。反復することによって差異が際立っていくという、まさにアートの基本をなす実践です。そのあたりにも、今となってはすこぶる共感できます。終盤に主人公が語る若い頃の物語を、エンドロールでモノクロ映像で見せるのですが、これもどこか洒落た演出です。語られた物語が、本当に若き日の話だったのかどうかと、そんな微笑ましい疑問を抱かせる終わり方です。
そんなこんなで、この作品は以前よりも、個人的評価が高まったような気がします。観る側の変化ということなのですけど、こういうことがあるので、再見、再読も捨てがたいわけです。その上で、ポール・オースターについてはこれまでちゃんと読んだことがなかったので、あらためて少し読みかじってみようかしらと思いました。