このところミカエル・リュケン『ギリシア的日本——文化と占有』(Michael Lucken, “Le Japon grec - culture et possession”, nrf, Gallimard, 2019)を読んでいます。と言ってもまだ冒頭のみですが(笑)。でもすでにして、「おお〜、こりゃおもろいね」という感じになっています。
ギリシア語やギリシア文化が、かつての日本においても、教養層のあいだで尊ばれてきたのはどうしてか、という問いに、著者は重層的な回答を寄せます。つまり、まずは「ギリシア的な日本」というものが、西欧のジャポニズム、あるいは広義のオリエンタリズムの流れの中で育まれ、それが当の日本において内面化され、取り込まれていった、という見立てです。
西欧のオリエンタリズムそのものが、実は西欧的な優位性の思想を、東洋への芸術や思想の伝播という文脈でもって強化する(つまり、東洋の文化も、つきつめれば出自は古代ギリシアなのだよ、さすが西欧、というわけですね)、ある種の民族主義的な動きだったとすると、今度はそれを内面化していく1900年代初頭の近代化の日本も、やはり同じように、民族主義的な言論・推論に支えられていたようなのですね(ギリシア文化の真の継承者は日本文化なのだ(京都学派とか)というわけです)。となると、そこに見られるのは、たがいの文化の民族主義的な反照でしかなく、いまどきの言い方ならばエコーチェンバー状態で、それぞれの文化が自己言及的にひたすら称揚されていくことになります。
この見立て、とても興味深く刺激的に思えます。流動的な思想が、どのような背景で導かれ、その後に大きく展開して固着していくのか、というプロセスの、新たな解明の試みが、ここにも見いだされる思いですね。