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究極の風刺談

前に言及した星野太『食客論』に触発されて、ルキアノスの『食客について——食客術は技法であること』を読んでみました。これ、なかなか見事な風刺的「技術論」でした。Loebのルキアノスのシリーズの第3巻です。

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シモンとトゥキアデスの対話編で、シモンが主に語り役となって、食客術こそがこの上ない生活の技法なのだと論じて見せます。まずそれは、なんらかの目的達成のためにともに用いられる知恵の複合体という意味で技法をなしているといい(飲食を獲得するための言動を言うのですね)、それが諸家において分裂しておらず、一様の技法であるがゆえに、哲学をも、あるいは弁論術をも凌駕する、至高の技法なのだと論じています。

逆に言えば、つまりありきたりの哲学や弁論術は、そのような一意の、一様の技法になりえていない、と皮肉っているわけですね。そんな分化したものは、究極の技法ではありえないでしょ、というわけです。

この皮肉な風刺には、今日にも通じる論点もちりばめられています。たとえば高齢化で問題になるアンガーコントロール。ミシェル・セールが、年老いたら一番重要なのはアンガー/コントロールであるみたいなことを言っていましたが、ルキアノスのこのテキストでは、食客術が、苦悩や怒り、嫉妬、様々な欲などとは縁遠いものであり、この技をもってすれば、そうした負の感情から自由でいられる、と称揚します。

もちろんこれは、風刺的に描いた理想ではあるわけですが、快楽をただひたすらに享受するために練り上げられるという機知に満ちた技法が、負の感情を遠ざけるペインキラーであるというのは、なにやら皮肉でいたずらっぽい文言ではあるものの、どこか示唆を感じずにはいません。