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通史的ナラティブの魅力

昨年末にローラン・ビネの『文明交錯』を読んで、久々に戦記というか、政治史的な語りを読むときの、あのわくわくする感じを思い出しました。ビネの本はフィクションですが、何かそういった、スケールの大きな通史の語りをもっと味わいたいと思っていた矢先、kindle unlimited に、杉山正明『大モンゴルの世界——陸と海の巨大帝国』(角川ソフィア文庫、2014)という本が入っているのを見つけました。西欧史の向こうを張れるのは、やはりアジアの歴史じゃないとね、ということで、さっそく読んでみました。

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内容はおもにモンゴル帝国の通史ですが、当然ながらというべきか、東アジアや西方など、周辺地域への目配せもぬかりありません。まずもって、古代中国の前史から話は始まっています。このあたり、高校生くらいのときに読んだ『黄河の水』(鳥山喜一)を思いだし、個人的になにやら懐かしい思いがしました(『黄河の水』は、復刻版がkindleで出ていますね→ https://amzn.to/3Ta1Ekr )。そして話は次第にチンギス・カンのほうへ。そしてさらにクビライ・カアン(同書での表記です)、その後の衰退へと進んでいきます。

これらの主要人物の周りには、当然ほかの多くの武人たちがいて、さながら群像劇のようです。思うに、通史的な語りの醍醐味は、そうした「群像劇性」のようなところにあるのかもしれません。同書の語りも実に闊達で、なんともリズミカルなのですが、それはどこか、この群像劇的な、対比的記述に根ざしているように思われます。なかなか複雑な人間同士の対比、そして各人の運・不運の対比、などなど。

著者は著名なモンゴル史の研究者ということで、昔の教科書的な記述も様々な点で改正されている印象です。たとえば戦闘の仕方も、全面的な武力衝突というよりは、かけひきの要素が強く、城を落とす場合でも、無血開城となったケースが多々あったのだとか。分裂・対立の構図にしてもそうです。著者はこう記しています。

主家の事情でやむをえず戦場でまみえることになった親戚・知友同士が友好のあいさつばかりをして実戦しようとしなかったという話は、モンゴル帝国関係の史料がしばしば語るところである。こうした人間のネットワークはさまざまなレヴェルで織りなされ、それらの膨大なかさなりのんかで、モンゴルという同一性と一体性はゆるやかにたもたれていた。(p.230)
現実には、モンゴル帝国のなかにはさまざまなレヴェルの分権勢力がおり、それらのどこからどこまでがはたして「国家」や「政権」であるのかは、じつははっきりとはきめにくい。それらが全体として、ひとつのシステムをなしているのである。(p.233)

ゆるいグラデーション的な、大局的視点ですね。そうした視点からすれば、個々の出来事は、より大きな文脈の中に位置づけられるほかありません。日本への元寇についても、その狙いは、一度目は南宋の退路を断つため、二度目は余剰人材となった農民たちを移住させるためだったのではないか、と……。

このように、初版は1991年という同書は、世界史的な大きなスパンで解釈し直した、大変興味深いモンゴル帝国史でした。