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ルジャンドルの舞踏論

昨年春に没した、「ドグマ人類学」で有名なピエール・ルジャンドル。kindle版で読めるものとして、” La Passion d'être un autre. Etude pour la danse” (Seuil, 1978)を少し前に購入していたのですが、しばらく積ん読(電子書籍なので、あくまで比喩ですが)になっていました。で、ようやく、部分的ですが読んでみました。

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社会的事象への精神分析的アプローチというかたちで、異彩を放ったルジャンドルですが、同書でも、そのことは十分に感じられます。著作としては比較的初期の時代のものですね。自由な動きの発露としてあるはずのダンス(舞踏、舞踊)が、いかに社会的な権力に取り込まれ、制約を受けつつ、許容されたジャンルとして確立されるしかない様を、時代の変遷も絡めながら論じていきます。

ただ、70年代末の著書ということもあって、書き方がちょっと衒学趣味的で饒舌ですし、当時は普通だった、用語の定義をあえて示さないまま、論を進めていくスタイルが、今からするとちょっと古くさいと感じられるかもしれません。たとえば、社会的な権力のおおもとを担うものは、大文字で始まる「テクスト」とされますが、おそらくこれ、文典ということだと思いますが、定義はとくにありません。宗教的時代も、産業の時代、そして市場の時代(現代)も、そうした聖典・法的文献があってこその社会的権力装置だ、ということのようです。また、おそらく時代が変化しても変わらない、そうした底流の機構こそが、社会における「ドグマ」とされるのだと思います。

社会的な権力装置を「暴く」(というほどでもないかもしれませんが)、という意味では、精神分析を持ち出したりするところなどからして、かなり毛色の変わった社会論ですが、身体的行為、芸術的行為のいっさいが、権力のもとに置かれて、それに役立つよう搾取されているかのような暗い書きっぷりは、それなりに印象深いものもあります。

ただ、それでは形式的な布置を言いつのっただけで、権力の側はなぜ、またいかにして身体表現を取り込んでいくのか、どのような周到なプロセスが用意されているのか、表現の側はなにゆえに抵抗できないのか、などなど、生成的な側面への考察は見られません。そのあたりがちょっと不満というか、フラストレーションを感じるところでもあります。しかしこれ、とくに継承とかもありそうにない、ある種の屹立した思想である以上、ないものねだりは無理筋かなとも思います。