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ランシエールの美学

アルチュセールの弟子筋にあたるジャック・ランシエールは、一時期よく取り上げられて、名前をよく聞いていた気がします。でも、その思想内容の核となる部分については知らないままでした。カイエ・デュ・シネマなどで映画評をやっていたのも知ってはいましたが、ちゃんと読んでみたことがありませんでした。で、昨年ですが、新作らしい『アートの旅』(Les voyages de l’art, Seuil, 2023)という一冊がKindleで読めることを知り、せっかくだからと早速見てみました。

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同書は6つの小さな論考(講演など)を集めたもののようです。ランシエールは、同書を通じて次のようなアートのパラドクスを読み解こうとしているように思えます。主に19世紀以降(18世紀末から)のアートが、それまで宗教や貴族身分への奉仕であったのをやめ、アートそれ自体としての完成形を目指そうとするとき、そのアートにもともと内包されている根源的な不完全さ(アート以外の何か、あるいは完全・不完全の緊張関係、あるいは芸術がはらむ人間そのものの疎外など)を、むしろ指し示してしまう、というパラドクスです。

アートは宗教などの他のものに仕えているときですら、アートそれ自体の完成をめざす動きを伴うものだったはずなのですが、いざそうした外的なしがらみがなくなってみると、むしろアートの中にあった製作者の疎外の力学であるとか、様式への極端な拘泥であるとか、何らかの別筋の社会的なものへの奉仕にからめとられてしまうこととか、様々な縛りの要素がむき出しに出てくるようになってしまった、というわけですね。けれどもそれらの諸要素は、結局はアートそのものがもとから、「構成的に」含んでいたものであり、それらのしがらみからは容易に逃れられず、アートは、それが目指す自由との分裂関係・緊張関係に常におかれてしまうのだ、と。

そうした分断というか分裂状態を、ランシエールはヘーゲルやカントの美学、音楽や建築のアプローチ、さらに共産主義系の造形アートや政治的なものとの関連などを取り上げながら、それぞれの領域でまずは概論として示し、次いで個別の実例などを紹介しつつ描き出してみせようとします。俯瞰から個別へ、ということでしょうか。この、分断の線を引きつつ、その緊張関係の力学を語ろうとするやり方には、なにかどこかなつかしい感じすら漂います。ネットの時代になって、今こういう仕事をする人って、もうあまりいないかも、という気がします。